どうも、りかちゅうです!重三郎にはライバルがいました。元は上司だったんですけどね。ですが、その上司の部下たちが不祥事を起こしたことでそのライバルは落ちぶれてしまいました。それ以降江戸に戻ることはなかったそうです。そのライバルさんの名前は?鱗形屋孫兵衛という人です。「べらぼう」では片岡愛之助さんが演じますね。孫兵衛は最後は残念ですが江戸文化には貢献しました。では、彼はなにをしたのか?これから話しますね!

鱗形屋孫兵衛のプロフィール

彼の名前を聞いても分からない人は多いのかなと。まあ、教科書に載ってないですもんね。ですので、彼のプロフィールから見ていきましょう!

名前 鱗形屋孫兵衛

生年月日 不明

没年 不明

備考

重三郎の上司でありライバルでした。初めのうちは繁盛したものの悪さをしたことで没落しました。ただ、全盛期の時は出版権を独占するなど力はありました。

鱗形屋孫兵衛の人生

以上が孫兵衛のプロフィールです。不明な点は多いですね。ただ、江戸の文化に貢献したのは事実です。ですので、彼の人生について話しますね!

1.生い立ち

鱗形屋孫兵衛の生没年は不詳です。ただ、鱗形屋の3代目であることは分かります。ちなみに、初代の鱗形屋加兵衛は江戸の遊郭・吉原を取材した遊女評判記として有名でした。次に2代目の鱗形屋三左衛門は絵師の菱川師宣を起用した挿絵入り本を出版したことで有名です。

そして、この記事の主役こと3代目の鱗形屋孫兵衛は京都の出版人の「八文字屋自笑」が京都で流行らせていた浮世草を江戸で出版する権利を独占しました。浮世草子とは現実を写実的に表現した小説です。その際に孫兵衛は恋愛や色恋こと好色物、町民の生活こと町人物、武士の生活こと武家物を中心に描いていました

2. 地本問屋の開業

1658~1661年頃に孫兵衛は江戸の大伝馬町で地本問屋を開業したことが分かっています。地本問屋とは地本と呼ばれた大衆本の企画・制作・販売をした問屋でのことです。その中でも孫兵衛が手がけていたのは遊廓でのゴシップや粋な遊び方を書いた洒落本、挿絵入りの文芸作品である草双紙、浮世絵などでした。このような通俗的な出版物を地本と呼んだのは江戸の地で作られた娯楽本を意味しています。

3.市場独占!

3代目の主人になった孫兵衛は京都の出版人「八文字屋自笑」が京都で流行させていた浮世草子を江戸で刊行する権利を独占しました。また、孫兵衛は江戸っ子が元日の夜縁起の良い初夢を見られるようにふるために枕の下に敷いた宝船の版画をヒットさせています。ちなみに、その様子を伝える川柳があります。

数万艘 鱗形屋で暮れに摺り

このような川柳を見ても、元日に売り出す鱗形屋の宝船図はバカ売れしたことが分かりますね。

4.黄表紙の大ヒット

今の時代有名作家には優秀な編集者がついていますね。これは江戸でもそうです。実はその当時武士の身でありながら戯作者としての才能を発揮した恋川春町を世に出したのも孫兵衛でした。詳細としては田沼意次の政策で商業が盛んになると裕福な町人が増え吉原通いをする金満家も出てきました。このように吉原の人気が高まったことから孫兵衛は大人向け小説として人気を呼んだ黄表紙の発行に力を入れ始めました。

ちなみに、第一作となったのが1775年に出版された春町の「金々先生栄花夢」でした。これは江戸の文学界に大きな変化をもたらすほど大成功となりました。話の内容は後ほど話しますね!これ以降も孫兵衛は春町とタッグを組んで次々とヒット作を出版します。

5.衰退して撤退

その当時新しい著書が出るとすぐに海賊版が出版されることが横行していたため京都と大坂の町奉行からこれらを規制する「重板・類板禁止」が出されました。それなのに、1775年に大坂の版元から出版された「早引節用集」を鱗形屋の手代こと藤八が「新増節用集」と改題して出版してしまいます。この件に関しては版元仲間の須原屋が間に入り示談となります。ですが、1777年に今度は孫兵衛の使用人こと徳兵衛が同タイトルのまま出版してしまったのです。ここまで来るとお咎めなしとはいきまけん。そのため、徳兵衛は家財没収・追放されました。そして、代表であった孫兵衛にも重い罰金が課せられました。

この一件で鱗形屋は社会的にも信用を失ってしまいます。もちろん、これを機に黄表紙の発行も激減し主力商品であった「吉原細見(どのような本かは後ほど分かります)」の出版もできなくなりました。それに伴い、小売りしていた重三郎に版権を奪われてしまいます。これ以後、鱗形屋の出版数はみるみる減少し営業不振に陥りりました。そのため、孫兵衛は江戸の出版界から姿を消すことになりました。それから孫兵衛はどうなったのかは不明です。

「金々先生栄花夢」はどんな話なのか

「金々先生栄花夢」は孫兵衛のヒット作です。どんな話か気になりますかね?ということで、話の内容を少し話しますね!

主人公の金兵衛は江戸で一旗揚げようと故郷を出ます。その際に旅の疲れから江戸の茶店でうたた寝していると大商家の番頭が現れました。その番頭は金兵衛が店の跡取りに決まったと告げました。そのため、金兵衛は金々先生と持てはやされて遊び暮らした末に勘当されてしまいます。しかし、一連のできごとは茶店で眠ってしまった金兵衛が見た夢でした。目覚めた金兵衛は栄華のはかなさを悟り故郷に帰ります。夢であるものの金兵衛にとってはトラウマだったんですね。

重三郎とはどんな関係?

「べらぼう」の主人公こと重三郎と孫兵衛は関わりがあります。実は2人は上司と部下の関係でもありライバルでもありました。ですので、その件について話しますね!

1.孫兵衛が重三郎をスカウトする

重三郎は浮世絵師の葛飾北斎や喜多川歌麿、東洲斎写楽たちを世に出した敏腕の出版人です。ですが、はじめは貸本と鱗形屋の出版物を商う書店の店主でした。その重三郎はある日店に並ぶ鱗形屋の吉原細見に注目します。吉原細見とは吉原の遊女や店を紹介する冊子です。重三郎は、吉原の引手茶屋と言って遊客を遊女屋へ案内する茶屋の養子として育ちました。そのため、遊郭には顔が利きます。そこで、重三郎と孫兵衛が繋がった時に孫兵衛は吉原細見の編集を任せてほしいと重三郎に依頼します。

2.重三郎が孫兵衛の市場を奪う

このように、孫兵衛の方が立場は上でした。ですが、孫兵衛が悪さをして立場がなくなってからは重三郎の方が立場が上になります。

重三郎は書店のオーナーから版元に事業を拡大しました。一目千本とかまさにそうですね。そのため、孫兵衛は1776年に吉原細見を刊行したものの市場は既に重三郎の独占状態となりました。しかも、孫兵衛は不祥事もあったため経営を盛り返すことができず急速に衰退しました。まさかの部下に追い越されるとは思いませんでしたね。

まとめ

孫兵衛の話というよりかは「べらぼう」にて孫兵衛を演じる片岡愛之助さんのことについて話しますね!彼は報われない役ばかりですね。「真田丸」では戦国のオオタニさん、「麒麟がくる」では今川義元、「鎌倉殿の十三人」では宗時兄さん。みんなして戦死した役だなと思ってしまいました。だからこそ、「べらぼう」では報われる役をやって欲しいと思ってたんですよ。そしたらまさかの自分にとっての弟子に追い越されて衰退する役柄だったとは…。片岡愛之助さんは大河では負ける側の役しかないのかよと思いましたよ。彼が大河ドラマで報われる役をやるのはいつなんですかね?その日を待っています。以上です!

りかちゅう

SNSシェア

1件のコメント

  1. ピンバック: 江戸の地元問屋!西村屋与八とはどんな人? - Rikachu’s theory

コメントは受け付けていません。