どうも、りかちゅうです!秀吉が着実と天下統一のために動いていた時に刀狩令を行いました。理由としては天下統一のために動いていた時代に農民が一揆を起こしたからです。地域によっては相当な騒動だったらしいですからね。この状況は秀吉からしたら不都合です。まあ、秀吉は元は農民出身だからそこら辺の心理は分かっているでしょうけどね?その分刀狩令には力を入れました。どのような政策か?この記事にて話しますね!

刀狩令とは?

刀狩令とは1588年に秀吉が農民・寺社・僧侶から刀や武器を取り上げる法令のことです。条文は全部で3ヶ条から構成されていて刀・脇差・弓・槍・鉄砲などの武器を全て差し出すよう命じる内容です。刀狩令の表向きの理由は「方広寺の大仏建立のために、武器の鉄を寄進してもらう」というものでした。ですが、これはあくまで建前です。本当の目的は農民から武器を取り上げて一揆を防ぎ武士と農民の身分をきっちり分けることです。

刀狩令が起きた背景

刀狩令が出された1588年は天下統一まで後少しのところでした。1585年に関白に就任し1587年には九州を平定しました。残るは関東の北条家と東北の伊達家でした。ですが、ある不安がありました。それが一揆関係です。どういうことなのか?

農民が起こした一揆

それが惣国一揆と呼ばれる農民が武装して国単位で起こす大規模な反乱でした。さらに、1587年には肥後で大規模な一揆こと肥後国人一揆が起きました。その影響で肥後を管轄にしていた佐々成政が改易されてしまいました。

農民が大規模にできた理由

当時の農民は戦のときには足軽として戦場に駆り出されることもありました。秀吉だって初期の頃は足軽でしたからね?ほのため、自前の刀や鉄砲を所有していました。となると、農民はいざとなれば領主に対して武装蜂起する力はあることになります。これは秀吉にとってせっかく統一しかけている天下を農民の一揆でひっくり返されるわけにはいかないとなりました。

刀狩令の条例

刀狩令の本文は、全部で3か条から構成されています。具体的にどんなことが書かれていたのか?

1.農民に武器はダメ!

農民は刀・脇差・弓・槍・鉄砲その他の武器をいっさい持ってはならないという命令です。武器を持っていると年貢を納めなくなったり、領主に逆らったりして一揆を起こしたりする原因になるという理屈で禁止されました。

2. 取り上げた武器は方広寺大仏の材料

その当時、秀吉は京都の東山に方広寺に巨大な大仏を建立する計画を進めていました。それで、その建材として武器の鉄を再利用するという建前を打ち出しました。その際に「武器を寄進すれば大仏様という立派な仏様の建材になります」と言ったそうぇす。そうすることで、農民達は武器没収の心理的ハードルを下がりました。まあ、秀吉からしたら口実ですけどね?ただ、巧みな大義名分ではあります。

3.来世は極楽往生!

「武器を差し出した者は現世だけでなく来世でも救われ極楽往生できる」3条にはと書かれています。これは仏教の信仰心に直接訴えかける形で武器を出すこと=善行というイメージを刷り込んだ感じでしょうね。

刀狩令の目的

刀狩令はちゃんとした目的があります。では、どんな目的なのか?

1. 農民が武装して領主や政権に反乱を防止するため

1番の理由はそこですね!武器を取り上げてしまえばたとえ農民が不満を抱いたとしても武装蜂起という最終手段は取れなくなりますからね。秀吉自身かつては尾張の農民出身です。となれば、武装した農民の怖さを誰よりもよく知っていますからね?

2. 戦う人と耕す人をはっきり分けること

戦国時代までの農民は平時には田畑を耕し戦のときには武器を取って戦場に出るという「半農半兵」のスタイルが普通でした。秀吉はこれを廃止して、武士は武士、農民は農民という固定された職業集団に整理したそうです。

実際は言われてるものと違かった?

刀狩令によって農民は武器が完全に取り上げられたと捉えられますね。ですが、実はこの刀狩令はそこまで徹底されてなかったそうです。むしろ、農村にはたくさんの武器が残り続けていたことが近年の研究で出てきています。まず刀狩令は村ごとに武器を集めて差し出すよう命じる仕組みでした。そのため、実際の武器の取り立ては村役人や名主に丸投げされていたそうです。まあ、役人からしても村人全員から本気で武器を取り上げてしまえば自分の自衛もできなくなるし反発も起こる。だから、形ばかり差し出して残りはこっそり隠しておくという運用が全国の村々で行われていなそうです。要するに、刀狩は「完全な武装解除」にはなってないということです。

まとめ

実はこの政策は秀長の大和統治の方が先にやってたんですよね。まあ、大和の場合は僧侶の力が強いのもあってやらないといけない一面はありましたけどね。ただ、その秀長の政策のおかげで刀狩令はサンプルがありながら進めることができたそうです。

とは言っても、農民達がしれっと武器を持ってたのは意外ですがwwwwww。そこら辺に関しては秀吉は内心はいざという時に農民が武器ないと戦などできなくなるは考えてたでしょうね。天下統一後に朝鮮出兵はありましたから。そう考えると刀狩令は想像とは違う点は意外とあるのかなと思います。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう

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