どうも、りかちゅうです!今回は私の好きな小芝風花ちゃんが演じている五代目瀬川の話です。この方は生没年は分からないものの実在していたそうです(重三郎との関係性は掴めない点ではありますが)。しかも、かなりの売れっ子花魁だったとか。それなのに、鳥山検校に身請けされてからどうなったのかは分からないそうです。このように、彼女は売れっ子として有名なのに謎な花魁と私は思っています。では、その謎な五代目瀬川は何者だったのか?この記事にて話しますね!
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五代目瀬川のプロフィール
彼女は謎には包まれているものの僅かながらにデータがあるのでどんな人かのプロフィールは載せますね!
名前 花の井
花の井はあくまで遊女としての名前です。
生年月日 不明
没年 不明
備考
生年月日や没年などは不詳ではあるものの位の高い花魁でした。彼女は見かけは美しいのはもちろんのこと、芸者であるための謡、三味線、踊り、教養も優秀だったそうです。
「瀬川」という名跡
吉原遊里には代々名妓に引き継がれる名跡がいくつか存在します。その中でも特に有名なものが「瀬川」です。「瀬川」という名は吉原の中町通りで大見世を張っていた「松葉屋」という遊女屋の看板遊女の名跡として知られています。
この名跡を持つ遊女たちは、美貌や才覚があるのはもちろんのこと、波乱に満ちた生涯で江戸の人々を魅了しました。特に、初代から六代目までが有名です(九代続いたそうですが)。それで、今回話すのが五代目です。
五代目瀬川の人生
以上が五代目瀬川の概要です。では、彼女はどんな人生を歩んだのか?
1.生い立ち
五代目瀬川は幼少期から謎に包まれています。ただ、幼い頃に両親に捨てられた五代目瀬川は吉原の老舗遊女屋こと「松葉屋」に引き取られました。五代目瀬川はここで非常に高度な教育を受けます。その教育は美しさだけを求めるものではないです。教養や芸事の習得もしっかりとやりました。
2.五代目瀬川となり有名な花魁となる
五代目瀬川は若くしてその美貌と才知を開花させました。元から素質があったんでしょうね。そのため、踊りや歌、詩歌、書画などたくさんの才能を発揮しました。その才能が認められた五代目瀬川は松葉屋で代々受け継がれてきた名跡「瀬川」を継ぐことになります。これは吉原の中でもダントツな花魁ということでもあります。なぜなら、代々の「瀬川」は吉原遊郭の文化を象徴する花魁として多くの人々を魅了するような存在だからです。「べらぼう」でも五代目瀬川の仕事量は誰よりも多かったのが伺えますね。
3.鳥山検校の身請け事件
五代目瀬川の存在は江戸中に知られるようになりました。ただ、もっと知られるようになったのは1775年に起きた鳥山検校による身請け事件がきっかけです。鳥山検校とは盲目ではあるものの、高利貸しの男です。そのため、彼女を身請けするお金はあります。そこで、鳥山検校は五代目瀬川を身請けするために1,400両(現在だと約1億4,000万円相当です)という巨額の金を支払ったのです。
当たり前ですが江戸庶民にとって想像を絶するほどの財産です。そのため、この事件は江戸中の注目を集めました。鳥山検校はそこまでして売れっ子の五代目瀬川が欲しかったんですね。
4.身請け後の五代目瀬川
鳥山検校との生活は五代目瀬川にとって幸せなものではないです。高利貸しの男と一緒になったところでいいことないですよね。健全な仕事をしてるわけではないからこそ。それ故に、1778年に鳥山検校は高利貸しの不正がバレて幕府から財産を没収され江戸から追放されました。これにより、五代目瀬川は鳥山検校と別れることになります。
※鳥山検校の詳細はこちらを見てください!
5.晩年
鳥山検校との生活が終わった後五代目瀬川のデータは残されていません。武士や御家人の妻となったという説もあれば大工の妻になったなど色々な説があるもののどれも確証を欠いています。そのため彼女の晩年は謎に包まれたままです。
五代目瀬川に関する作品
五代目瀬川の身請け事件があったからこそ江戸中に話題になりました。もちろん、それに関連した作品もあります。ですので、その話をしますね!
1. 契情買虎之巻
五代目瀬川の人生は、江戸の文学にも強い影響を与えました。その代表例が戯作者の田螺金魚によ「契情買虎之巻」という洒落本です。この洒落本は優里における人間模様を描いた物語です。その中でも五代目瀬川を主人公とすることでかなりヒットしました。
どうヒットしたのか?この作品は江戸庶民の心を大いに揺さぶらせたそうです。そのため、五代目瀬川の名をさらに広めるきっかけとなりました。また、この作品は洒落本から発展した「人情本」というジャンルとも言われ江戸時代の文学に大きな影響を与えました。
2.続編や派生作品も生まれる
五代目瀬川を題材にした洒落本は「契情買虎之巻」だけではないです。続編や派生作品も作られました。これらの作品は五代目瀬川の人生を一部脚色していふものの、遊郭文化の実情や人間の情念をリアルに描写していたそうです。
鳥山検校と五代目瀬川の関係は庶民に影響を与えた?
売れっ子花魁を身請けした事件ですよ?庶民に影響与えるに決まってるじゃないですか?ですので、その話もしますね!
1. 小咄「居風呂」
「居風呂」という小咄では彼らの関係が皮肉や風刺を交えた形で庶民の娯楽として親しまれました。このように、彼らの物語は江戸の庶民生活に深く根付いていったのです。
2.社会格差
鳥山検校による身請け事件は当時の社会格差を象徴しています。そのため、鳥山検校の行動とやその末路が庶民にとっての教訓や娯楽として語り継がれたそうです。このように、五代目瀬川の存在はその時代の社会問題を映し出すような存在でもありました。
重三郎との関係性
「べらぼう」では五代目瀬川と重三郎は幼なじみって関係ではありますね。ですが、史実では不明です。お互い吉原の人間だから史実でも繋がりはあったかもしれません。重三郎は五代目瀬川に関連する本も手がけたそうですし。ですが、2人の関係に関する史実が残っていないため幼なじみというのはドラマ上の設定かと思われます。
他の代の瀬川紹介!
番外編です。他の代の瀬川もインパクトがあります。その中でも初代と四代目は有名です。ですので、その2人について話しますね!
1.初代
初代瀬川はもともとは医師の娘でした。それから彼女は武士である小野田久之進に嫁ぎ幸せな生活を送っていました。ですが、夫が盗賊に殺害されるという悲劇に見舞われ困窮してしまいました。そのため、初代瀬川は江戸の吉原遊里「松葉屋」に身を寄せ遊女として働くこととなりました。
その彼女がなぜ初代瀬川の名が語り継がれたのか?それは夫の敵討ちを果たしたからだとも言われています。実は初代瀬川は1716年から1736年に吉原で偶然夫を殺した敵と出会い、見事に仇討ちを成し遂げたそうです。
その後、初代瀬川は遊里を去り尼となって浅草の幡随院に入り「自貞」と号したそうです。ただ、この伝説の信憑性は定かではないです。
2.4代目
四代目瀬川は1751年から1764年に吉原遊里で名を馳せた遊女です。下総国小見川出身で「松葉屋」の所属でした。美貌はもちろんのこと、書画、俳諧、易学にまで精通していた遊女知られています。
ただ、ずっと遊女生活していたわけではないです。四代目瀬川は豪商でもある江戸屋宗助によって身請けされたことで話題となりました。ですが、四代目瀬川は28歳という若さで亡くなっています。だとしても、四代目瀬川の才能や魅力は後世まで語り継がれました。
まとめ
やはり、売れっ子の花魁は身請けされるものなんですね。確かに売れっ子だと多額のお金は払わないといけないですよ?それだからこそ金が払えるお金持ちが身請けするのかなとは思います。鳥山検校もそのうちの1人ですしね。ただ、鳥山検校は悪徳な形でお金を得ている人間です。だからこそ、五代目瀬川が身請けされるという話を知った時はショックでしたね。身請けされるならばいい所の家であって欲しかったと思いました。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。
りかちゅう