どうも、りかちゅうです!喜多川歌麿という人物は江戸の文化人の中でも有名ですね!さらに言うなら、歌麿は「べらぼう」ではキーパーソンの1人でもあります。そんな歌麿は数々の絵をヒットさせました。重三郎と一緒に住んでいたから歌麿はマンツーマンでプロデュースされていたでしょうね。それで、歌麿が最もヒットしたと言ったと過言ではないのは「美人画」です。だからこそ、この記事にて歌麿の美人画の代表作品ついて話しますね!

喜多川歌麿歌麿とはどんな人?

江戸の文化人の1人でその中でもかなりの有名人です。江戸文化に疎い私でも教科書で彼の名前はちゃんと見てますから!それで彼は美人画で有名になりました。もちろん、重三郎と出会ってからの歌麿は色んな有名な作品は出しています。ですが、美人画はそれ以上のヒットをしたと言っても過言ではないです!教科書でもその話がメインですからね。まあ、彼の話は話すと長くなるので詳しいことはこちらを見てください!

美人画マスター!喜多川歌麿とはどんな人?

 

 

歌麿の美人画の特徴

歌麿は上半身アップで顔に目が行く美人大首絵を考案しました。このアイディアが浮世絵の支持層であった江戸町民に大受けしたことで、歌麿は人気絵師のトップに躍り出ました。

とは言っても、歌麿は単に構図を変えただけでないです。髪の毛の一本一本を丁寧に描いたり、地色の背景に雲母摺を用いたりしました。他にも、今でいうエンボス加工こと空摺や無地の地潰しなどの技法を駆使して作品としての美しさを追求しました。それ故に歌麿は人気を獲得しました。

歌麿の美人画特集!

このように、歌麿の美人画は人気です。ですので、彼の美人画を一部紹介したいと思います!どれも王道なものです!

1.婦人相学十躰(ポッペンを吹く娘)

その当時、役者を描いたものはブロマイドのように庶民に流通していました。ですが、芸者や町娘といった女性を描いた大首絵はこれまでにはなかったです。そこで、歌麿と重三郎ははモデルに「寛政三美人」と呼ばれる市井の娘を主題に大首絵を描きました。歌麿の代表作「婦人相学十躰」もその1つです。寛政三美人とは、難波屋おきた、高島おひさ、富本豊雛の三人を指します。このように、市井の娘であった三人の女性を当時の美人画家は独自の設定を付け加えながら描いていました。

そんなことありなのって?当時の美人画は実在の人物がモデルであるものの、画家自身によって独自の設定を付け加えたり、記号的な持物を用いてキャラクターのように描くのがデフォルトでした。そういう感じだからこそ、見る側 人物そのものではなくアーティストの画風を楽しむことができるんです!逆にモデルの人相を忠実に再現した似顔絵は好まれない傾向にありました。

2.当時三美人

モデルに似せることが必須ではなかった美人画で歌麿は当時としてはこの作品は異例の写実性と言われていました。「当時三美人」は流行のファッションアイテムや季節の小物が描くなどファッション雑誌のような作品ではあります。この作品の影響で鶴屋喜右衛門、岩戸屋喜三郎、伏見屋善六といった版元が歌麿に大首美人画を依頼し始めました。このように、歌麿と重三郎が手がけたは浮世絵を取り巻く各業界に大きな影響を与えました。

3. 水茶屋百人一笑

「水茶屋百人一笑」は水茶屋という道路や寺社の境内などで茶などを飲ませて休息させた店で働いていた看板娘にスポットを当てた作品です。看板娘に対する想いを狂歌にしてつづった「評判記」でとあります。例えば、両国米沢町の高島おひさには「春すぎて夏ぞすずしき水茶屋の 名も高しまのおひさうつくし」との歌が詠まれています。このように、一枚摺りの評判記である「水茶屋百人一笑」は人気で江戸中で売り歩かれたようです。

ちなみに、水茶屋の美女を取り上げたものが評判となったのは何もこれが初めてではないです。1764〜1772年には笠森稲荷の「鍵屋おせん」、浅草の楊枝屋で働く「柳屋お藤」、浅草水茶屋の「蔦屋およし」などがヒットしています。

歌麿の美人画が人気な理由

このように、歌麿は色んな美人画を出しました。にしても、なんでこんなに人気なのかよと思いますよね?この記事にてその話をしますね!

1.狂歌が添えられてる点が魅力!

歌麿の美人画には狂歌が添えられることもありました。先ほどの「水茶屋百人一笑」が人気を博し同書に狂歌が添えられているのはまさにそうですね。絵だけではなく狂歌も楽しめる作品なんてそうないと思いますよ?

 

2.斬新なアイデアだから

今までは顔をドアップするような絵よりかは全体像を載せる絵が多かったです。ですが、歌麿は顔をドアップさせるような絵を描きました。これは出版統制の影響でしょうね。定信は出版統制令を出したことで歌麿は工夫をしないといけません。その工夫ば美人画でした。出版統制を糧にしたのとでヒットしたようなものですね!

3.絵が綿密

確かに、歌麿の美人画は斬新ではあります。ですが、斬新だけでは売れません。逆に質が悪かったら売れませんからね?では、なぜ、歌麿の美人画は売れたのか?それは絵が綿密だからです。先ほども述べたように髪の毛を丁寧に描いたり絵の女性の設定を綿密に考えたりなどとにかく見る人をがすごいと思えるような描き方をしていました。これは絵が上手いからできることですね。

まとめ

出版統制の影響で歌麿は苦しんでいたかと思われます。絵にまでとやかく言うなんて思ってもないことですし。ですが、それでもめげないで美人画を出したことによってここまでのヒットをしたのかなと思われます。これも重三郎の統制令があっても意地でも逆らう精神が歌麿にも伝わったからなのかなと思われます。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう

SNSシェア