どうも、りかちゅうです!浅井長政は信長を裏切ってしまったのは事実ですね。その影響で対立が深まりました。お市の方からしたら痛い話ですね。お兄さんと旦那が戦うなんて。その対立はなかなかしぶといものでした。ただ、ある戦でこの対立の決着がつきました。それが小谷城の戦いです。一体どのような戦いだったのか?この記事にて話しますね!
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信長と浅井長政の関係
信長と浅井長政の関係は決して昔から仲悪いわけではありませんでした。ただ、あることをきっかけで対立しました。ですので、その話をしますね!
1.元は同盟を組んでいた
元はそうなんですよね。信長は浅井長政との関係を作るために信長の妹ことお市の方を浅井長政のもとに嫁がせました。浅井長政はお市の方を大切に思っていました。このように、同盟を組んでいた時はそこまで亀裂がなかったです。お市の方をそこまで大切にするなら尚更のことですね。ただ、浅井長政の優柔不断さがと複雑な立場のせいでこの同盟は壊れちゃいます。
2.金ヶ崎の戦いを機に浅井長政が裏切る
金ヶ崎の戦いのきっかけは朝倉義景と信長の関係の亀裂です。信長は義昭のところに上洛しろと色んな大名に言ってました。ですが、朝倉義景は途中から這い上がった信長が嫌いで拒否してました。それを見た信長は朝倉義景に宣戦布告しました。これはあかんことなんですよね。朝倉家と浅井家は仲良かったんです。そのため、信長との同盟では朝倉家を攻撃するなという条件がありました。
こりゃ条件違反ですね。もちろん、浅井家では論争はありました。この論争は浅井長政からしたら苦しいですね。100%信長を憎めない、お市の方を愛してる。でも、家の都合がある。どっちを取るかを浅井長政は考え込んだでしょうね。その結果、浅井長政は信長を裏切りました。そのため、金ヶ崎の戦いでは信長は撤退しました。詳しいことはこちらを見てください!
姉川の戦い
1570年7月には浅井長政と朝倉義景の連合軍と信長と家康の連合軍と対決しました。最初は浅井長政側が優勢でしたが、徳川家康の援軍によって朝倉義景の軍が敗走、続いて浅井長政の軍も敗北します。姉川の戦いに関してはこちらの記事を見てください!
それから、浅井長政は自分の城こと「小谷城」へ逃げ込みました。
小谷城の戦いの経緯
浅井長政が小谷城に逃げ込んだからって小谷城の戦いになったわけではないです。ですので、その経緯を話しますね!
1.志賀の陣
1570年9月から12月にかけて信長と浅井長政の間で再び戦いが行われました。これが「志賀の陣」です。この戦いは激しかったため戦いから生き延びた浅井家側の兵士は比叡山延暦寺に逃げ込みました。そのことに対して信長は比叡山延暦寺に対して織田家につくか中立を保たなければ焼き討ちにすると警告しました。なのに、比叡山延暦寺は返答しませんでした。
その影響でその後も戦いは長引きましたが1570年12月に「正親町天皇」による講和の勅命を受けて浅井長政と信長の間で和睦が成立し志賀の陣は終結を迎えたのです。ただ、志賀の陣で信長に背いた比叡山延暦寺は1571年9月に焼き討ちに遭っています。
2.一乗谷の戦いで朝倉家滅亡
志賀の陣で和睦して以来信長は秀吉」や不破光治を小谷城へ送り降伏するよう勧告しました。謝れば許して仲間にすると信長は言っていたそうです。ですか、浅井長政が降伏を拒否し続けたため再び戦いが始まりました。その際に朝倉義景が浅井長政を救援にやってきました。ですが、刀根坂の戦いで多くの兵士を失っていた朝倉軍は織田軍に敵いませんでした。
朝倉家はその後の「一乗谷城の戦い」では朝倉義景の居城こと「一乗谷城」まで攻め込まれ、一乗谷城は焼き払われてしまったのです。それでも、朝倉義景は生き延びたものの、身内の朝倉景鏡に裏切られたことをきっかけに朝倉義景は自害したことで朝倉家は滅亡しました。
3.小谷城を攻撃
朝倉家を滅ぼしてから織田家は浅井長政のいる小谷城へ攻め込みます。ただ、本丸にいる浅井長政と小丸にいる浅井長政のお父さんこと浅井久政が連携して城を守っていて攻め込むのは容易ではありませんでした。ですが、秀吉の奇襲攻撃が成功しことで信長が有利になりました。
秀吉が成功した要因はまず本丸と小丸の間にあった京極丸を攻撃し親子の連携を分断したことです。さらに、浅井家に裏切り者がいたことも影響したと言われています。それから秀吉は小丸を攻撃し浅井久政は切腹しました。これで浅井家は滅亡しました。
子供達はどうなったか?
家臣と共に小谷城を脱出した万福丸は、浅井家の滅亡から2ヵ月後の1573年10月に秀吉の軍に捕らえられわずか10歳で処刑されました。悲しい現実ですが万福丸が大きくなってから対抗してくるのを防ぐためでしょうね。それ以外の浅井家の一族はほとんど処刑されました。ただ、万福丸の弟この「万寿丸」は生き延び仏門に入ったと言われています。
一方でお市の方と浅井長政から生まれた3人の娘はお市の方と共に信長の元に戻りました。その3人のことはご存知ですね、
まとめ
信長からしたら浅井長政にチャンスを与えていたんでしょうね。お市の方が嫁いでいるから尚更のこと。じゃなきゃまた仲間にするなんて言いませんから。それなのに、浅井長政はずっと降伏できなかったのは武士のメンツがあったからなのかと。一度裏切ったのに謝るなんて二言にも程があると。無事らしいメンツですね。ただ、そのメンツを捨てて謝っていたら違う世界線だってあったのではとは思いました。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。
りかちゅう?