どうも、りかちゅうです!「べらぼう」に小柴風花ちゃんが演じている五代目瀬川が出ていますね。彼女は遊女の中でも相当人気者だったそうです。ただ、その彼女はある男に買われました。その名前は鳥山検校です。何者なのだって?彼は当道座と言った盲目組合のお偉いさんです。お金もかなりあったとか。だから、人気者の遊女でもある五代目瀬川を身請けしました。にしても、人気者を買うって何者と思いますね。ですので、この記事にて彼の話をしますね!

検校って何?

鳥山検校は本名ではないです。鳥山は名前です。ですが、検校は名前ではないです。検校は江戸時代の盲目の組合である当道座によって設定されている官位の一つです。当道座では別当、勾当、座頭、検校の四官がありました。その中でも検校はつまり当道座の最高位でありかなりの権威があったようです。

ちなみに、江戸時代の盲人の人々の主な仕事としては三味線歌、箏曲、胡弓、按摩、鍼灸などの職業がありました。その中から検校となり医療や近世邦楽にとても大きな役割をし社会的にも地位の高い位とされていました。

鳥山検校の人物像

以上が検校の概要です。その中でも鳥山検校は吉原遊郭でも有名な遊女でもある五代目瀬川を身請けするほどの資産を有していました。また、鳥山検校は高利貸しを営み借金の取り立てについてはかなり厳しいことをしていたとされています。

当道座とは何か?

検校が官位であるのは分かったものの当道座とは具体的にどのようなものかは分からないですよね?ですので、当道座について話しますね!

当道座と組織

当道座とは中世以降に男性の盲人の組織として成立しました。盲人の同業組合と思えばいいです。この組織の特徴はピラミッド型の組織でした。詳細としては先ほど述べたように当道座は検校、別当、勾当、座頭の4官があります。それで終わりではないです。十六の段階に分かれ、さらに七十三刻みと言われるように73の段階に細分されています。このように当道座の組織は非常に精緻な階級制度になっていました。

階級に上がるには?!

階級を上げるには実力ではないです。(官金というお金が必要です。どれくらいのお金なのか?最下位から最上位の検校になるまでになんと719両もの大金が必要だそうです。今でいうと9347万円ですね。このような、理由から当道座に属する盲人たちはたくさんお金を必要でした。

江戸時代と当道座の関係

当道座はヒエラルキーを持つ自治的な組織であると同時に相互扶助するというという特徴もありました。そのため、江戸幕府は当道座を公認し音楽芸能や按摩、鍼灸など独占的な事業を認めるだけではありませんでした。なんと当道座に対して税金を免除するなど他の座とは異なる保護的な政策を取りました。また、官金貸という高利貸しも認めました。このように、幕府は当道座という組織をかなり優遇していたそうです。

取り立てに厳しい当道座

このように、江戸幕府は盲人に対して金貸しを営むことを正式に認めていました。盲人による高利貸しは官金貸し、座頭貸しなどと呼ばれていたそうです。これによって、莫大な資産を築く盲目の人ももいました。その一人が鳥山検校でした。

ですが、高利貸しと厳しい取り立てで有名でした。なんか返済が滞ると押しかけていき大声で騒ぎ立てるなどしていたそうです。その影響で武士が出奔したり恥じて腹を切るなどというような状況もあったようです。ちなみな、武陽隠士は「世事見聞録」で盲人の高利貸しを「強欲非道」と批判しています。大声で騒ぎ立てるなどはモラルが欠けていますね。

儲けたお金の使い道

当道座の人たちは莫大な儲けがありますね。そんなにお金があるなら何をするんだと思いません?その使い道の1つが江戸一番の風俗街でもある吉原で遊女を落籍させるようです。落籍とは身代金を払って芸者や娼妓を辞めさせることです。身請けとも呼ばれます。

お金持ちが遊女を身請けするのはあるある!

少し寄り道です。お金持ちが遊女をお金で引き取る身請けはよくあった話です。逆にお金持ちでないと身請けなんてできません。なぜなら、花の遊女の身請けはかなり高額で位が高くない遊女でも平均40両(約200万円相当)します。ちなみに、仙台藩3代藩主「伊達綱宗」が、2代目高尾太夫を身請けした時は2代目高尾太夫の体重と同じ重さの金塊を支払ったとの逸話もあるそうです!

鳥山瀬川事件

本題に戻りますね。鳥山検校はなんと五代目瀬川の身請けをしました。五代目瀬川はトップクラスの遊女です。となると、高額でないと身請けできないです。では、鳥山検校はどれだけ払ったのか?なんと1,400両(約1億4,000万円相当)です。これだけの大金を払って身請けをするって相当ですね。そのため、江戸中で噂になります。そうしたことから、鳥山瀬川事件と呼ばれているのです。

ですが、検校たちの取り立てにはさすがに度を越えていたため1778年に鳥山検校などの複数の検校たちが処罰を受けました。具体的には江戸追放や遠島などの刑に処されたそうです。この話は鳥山検校が5代目瀬川を身請けした3年後の話です。

鳥山瀬川事件が物語となる?!

鳥山瀬川事件の反響はかなり大きかったです。そのため、鳥山検校が追放された1778年に戯作者の田螺金魚が「契情買虎之巻」という洒落本を発刊しました。物語の内容は主人公遊女の五代目瀬川は遊客である「五郷」と恋仲でありました。ですが、五代目瀬川は鳥山検校に身請けされたため叶わぬ恋となった悲恋劇を描いています。

また、男女を逆転させた物語として戯作者の伊庭可笑が「姉二十一妹恋聟」をかいたそうです。それ以外にも戯作者の十返舎一九の「跡着衣装」でも鳥山瀬川事件を物語化したそうです。このように、数多くの人が鳥山瀬川事件をもとに物語を手がけました。もちろん、その物語の出版に重三郎も関わりました。

まとめ

小芝風花ちゃんは好きなので五代目瀬川はどういう生き方をするのかなとは思っていました。そしたら、まさかの鳥山検校に身請けされていたという話を知った時衝撃でしたね。身請けされたら遊女として仕事しにくいですからね?しかも、鳥山検校が逮捕されてから五代目瀬川の行方も色々説ありますしね。そう考えると、この身請けっていいものなのかなとは思ってしまいます。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう

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  1. ピンバック: 謎な花魁!五代目瀬川・花の井とはどんな人? - Rikachu’s theory

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