どうも、りかちゅうです!天明の大噴火が起きてからの日本は大変でした。理由は噴火の時の火山灰が大量に降ってきたからです。「べらぼう」でも口を布で覆うシーンとか普通にありましたもんね。そのため、植物が上手く育ちませんでした。その影響で天明の飢饉が起きました。この飢饉は尋常ではないです。後ほど話しますがあまりに飢えててある物を食べる人もいました。そのあるものは普段食べませんよ?それくらい飢えてたってことです。ですので、この記事にてその話をしますね!

天明の大飢饉とは?

天明の大飢饉とは1782年から1788年の6年間にも及んだ飢饉のことです。1770年代から東北地方の悪天候や冷害が続き、農作物の収穫量は減少しました。これは食事面では厳しい状況ですね。さらに、1782年から1783年にかけては暖冬に見舞われ田畑が乾きどんどんと耕作地が痩せしまいました。そのため、大規模な食糧難が発生し餓死者を多数出す結果となりました。

天明の大飢饉の経緯

以上が天明の飢饉の概要です。では、どんな経緯で天明の飢饉が起きたのか?

1.1782年から1783年の悪天候

1782年から東北地方を中心に東日本が悪天候の時が増えました。そして、1783年はすごく低温の年になりました。どうや、春が近づいても気温は一向に上がらなかったそうです。さらに雨が降り続き日本各地で洪水が起きてしまいました。それで終わりではないです。夏になっても晴れることは稀で冬のような寒さが続きました。その当時の方が今よりも異常気象ですね。そのため、真夏に厚手の服が必要なくらいだったそうです。このように、長引く悪天候や日照不足による冷害のへいで農作物はまったく育ちませんでした。もちろん、地域によってはは米の収穫高がほとんどなかった地域もありました。

それに加えてその後暖冬になるなんて地獄ですね。なんでこんな狂った天候になるのか気になりどころです。

2.浅間山噴火の打撃

この恵まれない天候に追い打ちをかけるように天明の大噴火が起きました。そのため、全国各地に火山灰を降らせました。火山灰が3センチも積もったともいわれています。また、浅間山の噴火は2000名もの死者を出す大災害だったそうです。この被害は人間だけではないです。火山灰が大量に降ったことでその火山灰は植物に積もってしまいました。そのため、光合成を阻害され植物は成長することができなくなってしまいます。さらに、酸性が強い火山灰の場合は植物自体を枯らしてしまったそうです。

このように、火山灰が大気中に舞ったことで日光が遮断されて日射量が減少しました。さらなる冷害を引き起こしたと考えられています。

※天明の大噴火に関してはこちらの記事を見てください!

江戸の大噴火!天明の大噴火とその被害

大飢饉による影響

このような天災の影響で飢饉が起きてしまいました。では、どれだけの被害があったのか?

1.死者は東北地方だけで2万人?

この飢饉の様子を杉田玄白は「後見草」で伝えました。その作品には東北地方の餓死者は推定2万人と記されています。ただ、諸藩は自分たちの失政を隠そうとしたかったのか少なく記録されたと考えられています。ちなみに、被害が相当大きかったと伝えられるのは陸奥の地域で死者は盛岡藩で75000人以上、八戸藩では30000人が餓死したそうです。それから、伝染病が蔓延しさらに数千人が亡くなったといわれています。

2.弘前藩の悲惨さ

ただ、最も悲惨だったのは弘前藩で死者は10万人以上でした。また、弘前藩は逃亡者も含めると藩の半分以上もの人を失いました。さらに、これに追い打ちをかけるように疫病も流行し1780年から1786年で全国的な死者数は推定96万人ともいわれます。

3.一揆や打ち壊しが起こる

ドラマでの百姓一揆や打ちこわしは過激な暴動だと認識されることが多いのですよね。ですが、実際の百姓一揆や打ちこわしは秩序あるデモ行為でした。百姓一揆の場合は「蓑笠」という農具を身につけて領主や村役人に年貢を減らすなどの交渉を求めるのが本来の様式だったそうです。そのため、武具を使って人を脅して傷付けたり、盗難や放火のような犯罪行為に及んだりすることは現実はほとんどありませんでした。

一方で打ちこわしは、都市に住む民衆が商人に対し、米価の引き下げを求める行為だったのです。

人肉を食べてた?!

そんなことあるのかよと思いますがあったそうです。まず、その当時は牛や馬を食べる習慣はありませんでした。ですが、山の山菜やイノシシ、シカなどの動物を人々が食べ尽くしたら馬や牛も食べるようになったそうです。それでも、足りなくなって人肉を食べてたとか。このように、異様なことが起きてます。ですので、その話をしますね。

1.女の子が家族の人肉を食べる

家族が亡くなり隣町に嫁いでいた娘が葬儀のために家に戻りました。そしたらあるハプニングが起きます。なんと火葬していたところ空腹に耐えかねた娘は火葬した家族を食べちゃちました。その後もその娘は人肉を求めて徘徊するようになりました。まあ、その娘はその行動に恐れた村人によって処刑されました。

 

2.人肉と犬の肉を混ぜたものを提供

ある男の人は橋の下に亡くなっていた人の太ももの肉を切り取っていました。そこの通りかかった女性は当たり前ですが不思議に思い何をしているのかと声をかけました。そしたら、その男の人は人肉に犬の肉や葉を混ぜて団子にして売ると答えました。そんなの美味いんですかね?

3.人肉でお返しする?

家族が亡くなった家に女が訪ねてきました。その際に「片腕でも片股でもいいから分けて欲しい。うちの爺さんがなくなったらお返しにくる」とその女はお願いしたそうです。このようなことが本当にあったとは信じがたいですね。ただ、天明の飢饉で人々が追い詰められた状況であったことは事実でしょうね。

政策にも問題はあった

幕府は米の生産量をあげたいという考えから適切な製法が行われていなかったそうです。本来お米は温暖な気候の中で育てる必要があるそうです。それなのに、寒冷な土地でも稲作を始めようとしたから上手く育たなかったそうです。また、技術的にも未熟な部分が多く安定した稲作が行えていなかったのです。さらに、米ばかりを作って他の作物を育てることに力を入れていませんでした。そのため、米に被害が出てしまえば他に収穫できるものはほとんど何もなくより飢饉を悪化させたそうです。

まとめ

全国的に飢饉があったとなれば相当の規模ですね今の時代とはまた違った過酷さがあるなと思いました。天災は侮れないですね。もしこれがナチュラルな天災ならば尚更そう思います。そう考えるとあの時代に生きていた人は相当大変だったと思います。以上です!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう

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