どうも、りかちゅうです!信長と浅井長政は同盟を組んでいました。そうじゃなったらお市の方は浅井長政のところに嫁ぎませんからね?ですが、浅井長政はこの結婚を引き受けて仲良くお市の方と暮らしていたので裏切りました。それが金ヶ崎の戦いです。浅井長政が裏切らなければ信長は朝倉義景に勝てていたもののこの裏切りで勝てませんでした。でふので、この記事にてその話をしますね!

 

金ヶ崎の戦いの背景

信長は義昭を名目にして各地の大名に上洛を催促していました。ですが、越前国を支配する朝倉義景は再三これを無視していました。越前国は美濃国と京都の間に割っているような位置にあり、信長は越前国を支配下に入れる必要がありました。そこで、信長は朝倉義景の上洛拒否をを口実に越前国へ出兵したのです。

浅井長政が裏切ったトリガー

信長と朝倉義景の両方から援軍を受けていたのが浅井長政でした。結局は浅井長政は信長を裏切り朝倉義景を選びましたけどね。だからこそ、そこまでのトリガーを話しますね!

 1.浅井長政の結婚相手

浅井長政は信長の妹ことお市の方を妻として迎えていました。その際に信長の「長」取り長政と名を改名していました。これを見ても、長政自身もこの同盟に力を入れていた事が伺えます。この結婚は信長自身も大変喜び婚礼費用を信長が全額負担するほどでした。ただ、当初からこの婚姻には懸念点はありました。

 2.

朝倉家と浅井家は昔からの盟友の仲でした。特に浅井長政のお父さんこと浅井久政は朝倉家を贔屓していました。そのため、新勢力の信長のことを毛嫌いしていました、

 信長と朝倉家とかねてから不仲でした。ただ、浅井家と織田家の同盟の時に織田家は朝倉家を攻めないという約束の元同盟を組みました。となると、金ヶ崎の戦いは信長がその約束を破った形となります。

金ヶ崎の戦いの経緯

このような背景から浅井長政は信長を裏切りました。お市の方からしたら複雑でしょうね。浅井長政のことは本当に好きだったので。では、一体金ヶ崎戦いはどんな感じだったのか?

 

1.戦場は金ヶ崎城!

先ほども述べたように信長は朝倉家に上洛要請を出していました。ですが、朝倉義景はそれに応じる気はありませんでした。そこで、信長と家康連合軍は朝倉家を攻めます。その際に戦場となったのが、金ヶ崎城でその城を守っていたのは、朝倉家一門衆の筆頭であった朝倉景垣でした。ですが、この時城を守っていたのはたったの4500人でした。一方で信長軍は3万でした。そのため、圧倒的な人数差の前にした朝倉景垣は降伏を申し出たのでした。

2.朝倉義景の動き

朝倉義景軍は敦賀を放棄するように木の芽峠一帯へ後退しました。木の芽峠は戦線が狭く防御に向いた地形でした。そのため、朝倉義景軍は防衛線の強化に努めます。この際に、朝倉義景には援軍が向かっていたとされますがすでに城が包囲されていたため援軍の到着は遅過ぎました。この遅延の要因は朝倉家内の一門衆の序列争いによる嫌がらせでもあったと言われています。要するに、城攻略自体は信長が勝利していたってことです!

3.浅井長政の裏切り

織田・徳川連合軍は優勢に合戦を進めていました。そして、木の芽峠を越えて朝倉義景の本拠地である一乗谷を攻撃するための準備をしていました。しかし、浅井長政が突如反旗を翻し朝倉義景側に付きました。浅井長政からしたら信長と朝倉義景との間に板ばさみとなった苦渋の選択でした。そして、浅井長政は背後から織田・徳川連合軍を襲撃することとなります。そのため、織田・徳川連合軍は北を朝倉義景、南を浅井長政からの挟撃を受けるという危機に直面してしまいました。

4.撤退戦の決意

長政に後方をつかれては織田・徳川連合軍に勝ち目はありません。そこで、信長は撤退を開始。信長はこの撤退は家康にさえ連絡せずに撤退したとの説もあります。これは信長の焦りが見えますね。その際に秀吉、十兵衛、池田勝正が殿を務める事となります。一説には、この殿に秀吉が立候補したとも言われています。

殿とは大将を無事帰還させるために敵の前線に立ちながら上手く攻撃を交わし自分も無事に生還せねばならないというポジションです。もちろん、最後尾の箇所を担当する部隊です。殿は追撃を一手に引き受け戦闘しながら自らも撤退するだけでなく、他の部隊が戦場を離れるまで留まり孤軍奮闘する必要があります。さらに、少数の部隊で行なうことが一般的であったことからまさに命がけの部隊でした。

5.朽木家に交渉

撤退の際に懸念事項は朽木領通過でした。朽木家は浅井家と縁のある家ですからすぐに通してくれるかは分かりません。ちなみに、「朝倉記」では朽木元綱は当初、信長を殺害するつもりであったと記されています。そのため、朽木元綱に交渉しないといけません。その時に交渉したのが松永久秀でした。その交渉は成功したことで朽木元綱は街道通過を快く許可し信長を手厚くもてなしたそうです。

6.撤退成功!

秀吉、十兵衛、池田勝正は信長が帰還したという知らせを聞き撤退戦を開始しました。

朝倉義景・浅井長政両軍が激しい追撃を仕掛けてくる中で3武将は鉄砲隊や弓隊などを上手く使って敵軍を寄せ付けることなく撤退しました。かなり厳しい戦いであったとここ3武将の連携が上手く取れていたことで無事成功したそうです。朝倉義景軍ちゃんと連携が取れてなくて追撃が鈍くなったことも大きいそうです。

 

その後の流れ

信長は朝倉家と浅井家を滅亡させ、北近江越前と領地拡大に成功します。

 

また、浅井攻めで功労者となった秀吉は小谷城の跡地に長浜城を新設して一国一城の主へと成り上がるのでした。一方で信長に引き取られたお市の方と三人の娘達は信長の庇護下で養育されました。

 

まとめ

浅井長政は流されやすい一面があったそうです。優しい人であったものの決断力などに欠けていたとか。そのため、初めは信長の意見に乗っていたものの、揺らいで朝倉義景の方についたそうです。まあ、この選択は本人が決めたことですが。ただ、もし信長を選んでいたら浅井長政は生きていた可能性はあったのになと思いました。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

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