どうも、りかちゅうです!信長には妹がいました。その妹は有名です。その名もお市の方です。史実では美人でした。秀吉も惚れ込んでいましたから!そのため、時代劇でお市の方を演じる人たちは綺麗な人ばかりです。また、彼女は結婚生活は幸せでした(死別など苦しいことはありましたが)。ただ、最期は自決という形を取りました。このように、お市の方は波瀾万丈ではありました。では、一体どんな人生なのか?この記事にて話しますね!
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お市の方のプロフィール

名前 お市の方
生年月日 1547年
没年 1583年6月14日
備考
信長の妹です。あの時代では美人だったそうです。今の時代の美人とは違いますが。ただ、結婚面では浅井長政も柴田勝家も円満な関係を作れたものの結末は悲しいものでした。
お市の方の人生
以上がお市の方のプロフィールです。恋愛運は良かったものの結末は悲しいって切ないですね。最期は自害を選びましたし。では、彼女はどんな人生を歩んだのか?
1.生い立ち
お市の方は1547年尾張国の織田信秀ととその後妻のことであった土田御前の間に、五女として生まれました。信長とは13歳差だったと言われています。お市の方の幼少期のことは分かりません。なぜな。前半生についてはほとんど記録がなく不明点が非常に多くなっていらからです。また、実名も一次史料には特に見られず定かではないです。
2.浅井長政と結婚
1567年から1568年あたりに信長は近江国から美濃国を平定することを企てます。そこで、信長は北近江で勢力を伸ばしていた浅井長政と同盟を結ぶために1568年にお市の方を浅井長政のもとに嫁がせることを決めました。一方で長政は平井定武の娘との婚約がなされていたものの、お市の方との結婚を承諾したためその話は破談になりました。
このように、お市の方は政略結婚という形で長政と結婚しました。ただ、長政とお市の方の夫婦仲は円満でした。そして、お市の方と浅井長政との間に生まれた茶々と初と江の3人の娘達が生まれました。
※ 長政にはすでに少なくとも長男「万福丸」 と次男「万寿丸」の2人の息子がいたそうです。ただ、いずれもお市の方との間にできた子ではないとは言われています。
3.長政が信長を裏切る
1568年に美濃を平定した信長は足利義昭を奉じて上洛するために長政を従えて出陣します。その際に浅井・織田連合軍は、六角家の居城である観音寺城を攻撃しました。六角家は猛攻に耐え切れず、南近江へと退却します。このように、長政は信長と動いていました。
ですが、1570年に信長が浅井家と関係の深い朝倉義景を攻めたため浅井家と織田家の友好関係は断絶してしまいます。これは長政には痛手です。なぜなら、浅井家は3代に渡って朝倉家と同盟国であり両者の間では不戦の誓いが交わされていたからです。それ故に長政は信長を裏切り、織田・徳川連合軍を挟撃すべく、朝倉軍と共にその背後から進軍を開始しました。これはお市の方からしたら複雑ですね。
4.姉川の戦い・小谷城の戦いで長政と死別する
1570年の「姉川の戦い」で織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍は激戦をしたした。その結果、織田・徳川連合軍が勝ちました。一方で、浅井・朝倉連合軍は甲斐国の武田信玄や足利義昭などの助けを得て信長と戦いました。ですが、1573年に武田信玄がで亡くなったことを好機と見た信長は浅井領へ侵攻しました。一旦は朝倉軍が援軍に駆け付けましたものの、織田軍の猛攻に耐えられず撤退しました。さらに、織田軍はその背後を追撃し朝倉家の居城こと一乗谷城まで攻め込み朝倉家を滅亡させます。
朝倉家が滅びた長政はどうなったか?信長は浅井家の居城小谷城を包囲しました。その際に、長政は信長から降伏を打診されましたがこれを拒否しました。その結果、小谷城は落城し長政は自刃しました。一方で、お市の方は茶々、初、江と共に藤掛永勝によって救出され信長に引き取られます。その後はお市の方は信長の元で暮らします。
5.清洲会議と柴田勝家と再婚
1582年に信長が本能寺の変で謀反によ自刃すると織田家のなかで後継者問題が起こりました。これを話し合うために行なわれた清洲会議のでは秀吉の影響力が大きかったため秀吉の思惑通りに進んだと言われています。それで、会議では後継ぎを織田信忠の嫡男こと三法師とすることなりました。
そして、秀吉はお市の方にアプローチしました。ですが、彼女は断りました。なぜなら、清洲会議の時に秀吉と対立していた柴田勝家をお市の方が選んだからです。それ故に、お市の方は柴田勝家と再婚し娘と共に柴田勝家の領地こと越前国に移り住むことになったのです。柴田勝家との結婚生活も円満だったそうです。
6.賤ヶ岳の戦いで柴田勝家の自害
秀吉と対立していた勝家が1583年4月の賤ヶ岳の戦いで敗れてしまいます。その際に、勝家は敗走して越前北ノ庄城に帰城しました。秀吉は城を包囲して激しく攻め立てました。この状況から北ノ庄城落城の前夜城を枕に切腹する覚悟を決めた勝家はお市の方に城を去り秀吉の保護をうけることを勧めました。ですがらお市の方はこれを拒んで一緒に自決すると決めます。ただ、娘たちだけは死の道連れにするのを憐れんで富永新六郎という武士に預けて秀吉のもとに届けさせました。その後、勝家とお市の方、一族、直臣、女中衆は夜を徹して酒宴を催して今生の別れをし1583年6月14日にお市の方含めた80名余で自害しました。お市の方の享年は37歳です。
秀吉が嫌いなお市の方
秀吉はお市の方に一目惚れしていました。下っ端の頃から惚れ込んでいたそうですね。一方でお市の方はその時から嫌がってたそうです。なんなら、そのヘイトは一生涯です。信長は後のことは秀吉に任せてたからこそいざと言うときは秀吉と一緒になれと薦めたもののそれでもお市の方は無理だったとか。だから、賤ヶ岳の戦いの時に秀吉に保護されるなら自決がいいとお市の方は思ったそうです。ちなみに、お市の方が亡くなったとき秀吉はお市の方を手に入れられなかったことを悔やんだとも言われています。
にしても、なんでお市の方はそんなに秀吉が嫌いだったのか?女たらしな一面が許せなかったそうですね。もし秀吉が女好きでも女に厳しいならもとかく秀吉は女に甘いですからね…。
まとめ
お市の方が選んだ男に限って負けちゃっていますね…。その影響で死別やら自決になるというオチになったというのか。それでも、お市の方は好きな人との結婚だからこそ幸せだったのかもしれません。それだから、安心を求めて秀吉を選ぶという考えをしなかったというのか。まあ、秀吉が本当に嫌いだったこともありますが。ただ、この選択を見てもお市の方は安定よりもたとえ苦難があっても自分が共にしたい人を選んだのかなと思いました。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。