どうも、りかちゅうです!寛政の改革は「べらぼう」の主人公こと重三郎からしたら厄介な政策ではあります。そのせいで、ドラマ越しでも重三郎は血迷っていましたからね。そして、現実は処罰も喰らってます。これもドラマに出るでしょうね。ただ、寛政の改革で涙したのは文化人だけではないです。一般庶民も苦労しました。ですので、この記事にて寛政の改革の失敗理由を書きますね!

 

寛政の改革とは何か?

寛政の改革とは定信が老中の時に行った政策です。飢饉や天災が起こっている中時に定信は功績を上げたので老中となりました。それで、その時の景気を回復させるために寛政の改革を行いました。ただ、厳しすぎる一面があったため初めは良かったものの、後からマイナスにはなりました。

※寛政の改革の詳細はこちらをみてください!

白河の改革!寛政の改革とは何か?

寛政の改革の影響

寛政の改革は初めは社会の安定化や財政再建に向けた取り組みとして評価されました。ですが、長期的に見ると失敗に終わった改革にはなってしまいます。だからこそ、寛政の改革によってどんな影響が出たのかについて話しますね!

1.効果はあった!

寛政の改革は政策の厳しすぎたことで人々の生活を圧迫し反発を招いてしまいました。確かに、寛政の改革で幕府の支出は一時的に抑えられ、米の備蓄など危機への備えは作れました。また、無宿者対策として作られた「人足寄場」や農村復興を目指す「旧里帰農令」など社会保障的な制度は先進的でした。

 

2.厳しすぎる

このように、倹約政策によって資金は貯められました。ですが、問題はそのやり方です。倹約や思想統制が極端すぎたせいで多くの庶民が暮らしにくくなったり、文化面でも活気を失っていったりしてしまいました。特に出版統制や学問の制限は知的活動や創造力が抑制されちゃいました。そのせいで江戸の町人文化にも冷え込んじゃいました。

さらに、定信は徳川家斉との関係悪化により1793年に失脚しました。これにより改革は途中で頓挫し、方針の多くが元に戻されることになります。一方で、寛政の改革は本気で立て直しを図ろうとしたという評価はあります。

寛政の改革の失敗理由

このように、寛政の改革は本当に立て直そうという意向はあったものの空回りしてしまいました。では、なぜなのか?

1.人々が暮らしにくくなる

確かに、不景気の時に浪費をしたらマイナスになります。ですが、倹約をストイックにやりすぎたせいで多くの庶民や文化人にとっては「厳しすぎる改革」「暮らしにくくなる改革」となってしまいました。服装の制限や贅沢の禁止といった具体的な命令は庶民の生活に介入していますからね?介入しない範囲内でやれば良かったのかもしれませんが。

特に、華やかな祭りや贈答の文化までもが制限されたことは江戸の人々とって楽しみを奪われたと感じたそうです。

2.出版統制で文化が萎える

出版統制の強化は悪評になりました。
この統制で洒落本や黄表紙などの娯楽作品が取り締まりの対象となました。そのため、人気の作家や絵師が罰を受けることもありました。「べらぼう」の重三郎も処罰されますからね。その結果、町の文化や知識の交流が停滞することになりました。それだから、定信をディスる狂歌が生まれたんでしょうね。

3.改革の進め方に問題あり

改革の進め方にも問題がありました。定信は理想主義的な政策を次々と打ち出しました。ですが、実際には多くの人々に無理を強いるような感じになってしまいました。また、一部の政策は農村の救済や貧民対策などを含んでいたものの、それ以上に統制や締め付けのイメージが強かったんです!このように、寛政の改革は「厳格すぎて人々の心が離れた改革」として評価されてしまいました。

まとめ

他人に強要させたことは問題だったんでしょうね。確かに、不景気だから何をしてもいいってことではないですよ?ですが、ここまで規制されると返って経済が回らなくなると。その点、意次は経済を回していたから「白河の清き魚に住み替えて 元の濁りの田沼の恋しき」と言われたんでしょうね。

とにかく、定信は倹約に重きを置きすぎたことで庶民たちは嫌がってしまったのかなと思われます。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう

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